略歴

 

 

1972年兵庫県生まれ

 

幼少を横浜で過ごす。(最も旧い鮮明な記憶)

東急沿線の"日吉"という駅前で、毎日飽きるほど電車を見る。

雨の日にウシガエルを近所の人が持ってきたこと。

裏の草っぱらに、数珠のような玉がつく草が生えていたこと。

鏡台の上に乗っていた時に、地震がきたこと。

近所のユニーというスーパーに一人で行って、お風呂に浮かせる温度計を勝手に買ってきたこと。

さいとうけいすけくんという友達の記憶。

家の中では学研の"図鑑""ブロック"(ダイヤブロック)で遊ぶ。

飽きもせず、結局幼少期はこればっかりだった。

 

兵庫へ戻り、幼稚園は一年だけ途中編入。

入園式のあと、一人で勝手に家に帰ってしまったというエピソード。

この頃より"学校"というものが肌に合わなくなる。

勉強好きな小学時代。

弟が発売当日買ってきたロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト」に感動。

 

マーク類に興味を持つ。

やゼッケンなど、頼まれもしないのにイベントごとに勝手に作っては配っていた。

完璧主義の時代。

小五の時、同級生のMさんにもらった「もう少し流されてみると楽だよ」という手紙がいまだに印象に残る。

中学校へ上がる際に担任が内申書に書いたのは"潔癖"の2文字だったというエピソード。

中2からほとんど登校しなくなるが、学ぶことは好きなため、単独で本を読みまくる。

エッシャーマグリッドに興味を持ち、学校の課題に立方体の連続するだまし絵をデザインする。

歴史ゲーム「三国志」「信長の野望」などに興味を持ち、同時に「兵法」にも強烈に魅かれる。

無謀にも生徒会長に立候補するが、8票差でエリートお嬢様に敗れる。

我が陣営の敗軍の参謀が、どういうわけか生徒会入り。

この時"一番"というポジションが自分には縁がないことと、人は変わるものだということを学ぶ。

「孫子の兵法」「孟子」「尉繚子」「荀子」などを何回も熟読。

14才。

 

高校は進学校に難なく進むが、登校3日目で「このままみんなと同じになっていく」ことに恐怖し、即退学。

本を読む日々。

真夏のアイスクリーム工場で生まれて初めて"働く"。

30度の外気から-30度の巨大倉庫への出入りは骨が軋んだ。

50円のアイスには50本に2本"当たり"を入れることになっていた。

ベルトコンベアの前でひたすらアイスを梱包する日々。

楽しかった。

ときどきパートさんが「これ食べ」と、少し欠けた"たいやきもなか"をくれた。

出来立てのアイスもなかを食べると、もう店で売ってるのは食べられない。

生涯最高のアイスもなか。

バイトはクリスマス後まで何とか続いた。

 

料理が好きという単純な理由で、春から調理師学校へ1年通う。

1年間電車通学というのを味わう。

全国大会。

まだ、服部先生が有名になる前の服部栄養学校で。

なんとなく場違いだった気がする。

調理師免許も取得し、学校へ残って料理の先生になるよう勧められるがなぜか辞退。

17才。

免許を持っているのにも関わらず、1兵卒から自分を試したいという変な理由から、飲食店でアルバイトを始める。(調理免許を持っていることは結局役立たなかった)

厨房が摂氏60度にもなる店で、1日12時間、週1回の休みでガンガン働きまくる。

破天荒な先輩が一人いた。しかしこの人が数々の名言を残す。

「世の中で自分をわかってくれる人が1人でもいればそれでいい」

「若い子の悩みは、異性か金のどちらか」

とにかく働きまくりの日々。

この頃バブルだったとは、後で気付く。

FCで個人事業をしている系列の店に一時期勤める。

調理のマニュアル化と店舗運用・人の使い方をこの店のオーナー(元チェーン店の調理課長)から学ぶ。

人事異動。

車で片道1時間半かかる店に、半年間通う。

この店で本格的に"アルバイトとどう接すれば働いてくれるか"、"どろどろした人間関係の中でどうやっていけばいいのか"を、実践で学ぶ。

大型店舗で一日あたり1500人もの来客が有った。

このころ20数店舗ある中で、厨房では"U"さん、ホールでは僕というちょっとした社内の話題にもなった。

店舗運用にいよいよ自信がつく。

毎日バイト連中やパートさんと、お客さんが織りなすドラマに飽きなかった。

人生の縮図。

新規に神戸に店を出すということで、興味本位で正社員になり、主任代理っぽいポジションで新規開店スタッフに加わる。

新規開店当日、8時絶対出勤時間厳守のところ、起きたのが10:30。

人生で最悪最大の寝坊。

先例により、新規開店日は猛者ぞろいの各店店長が全員応援に来る、ということで、びびりながら出勤。

開き直り、堂々と「おはようございまーす」と入ると、"超戦闘モード"になっていたせいで何のおとがめも無し。

逃げるとかえって結果が悪いんだなと変に納得。

スタッフの高校生連中と、恐ろしく仲よくなる。

店長とウマが合わず、エリア部長に直談判するが、解決せず突然辞める。

若かった

社長に直接呼ばれて、激怒されると思ったが、「辞めずに店長をやってみないか」と言われる。

まだ18才だった自分を買ってくれた社長に涙が出そうになるが、けじめがつかないのでやっぱり辞める。

19才。

次の店を探す前に、弟に今まで食べたことも無い味のカレーを出すステーキハウスがあると聞き、募集もしていないのに面接に行く。

その店は支店で、本店に仕込み場が有り、そこで午前中は仕込み、午後は店に出るという願ってもないスタイルで働けるようになる。

ステーキが主力商品だったため、企業経営者や、接待などのお客さんが多かった。

本物主義のマスターと、絶対お客さんを待たせず気持ちのいいサービスをするママの元で、本物のサービスと味を学ぶ。

最も飲食業界で、収穫のあった時期。

支店に配属になる。

逆上してマネージャーにかみつく。

首になりかけるが、マスターに諭され頭を下げて残る。

別の支店の店長が突然辞める。

即日本店のマスターに呼ばれ「明日から店を任せる」と言い渡される。

店長就任。

21才。

 

店長就任1年後、高校に入学したてのAがバイトで入ってくる。

バイト禁止の公立高校だったため「学校で友達と話をする時"店長"と言うとバイトがばれる」

ということで、僕に"ゆめじ"という、なんともつかみ所の無い名前を隠語として付ける。

以来、プライベートでも"ゆめじ"と呼ばれることが多くなっていく。

売上もそうだが、会社に一番必要なのは利益であることから、売上アップと同時に利益を大幅に増大させる運営をしていく。

4年間、なんとなく売上も伸び、充実した、しかし惰性の日々。

本店でミーティングの際、「これからはキャラクター!。スタッフのパーソナリティーが重要です!」という意見にあきれかえられる。

通りがかった道に空き店舗があったので、即契約。

1年くらい"どーっ"とやって、やめちゃえばいいんだ!と思い、独立を決心。

同時に破門。

25才。

縁が切れたと思えば、次の縁がある。

偶然にも尊敬して何度も足を運んでいたイタリア料理の老舗オーナーに、偶然厨房機器を買っていた時に出会い、以来お世話になる。

その厨房機器屋の社長に店を出す近所に面白い人がいるからと、連れられて訪ねる。

版画家・岩田健三郎との出会い。

二人は僕の出す店のことで盛り上がるものの、こっちは岩田という人物のことを全く知らなかったので、ぼーっとしていただけ。

その時奥さんが作ってくれたサツマイモの千六本のかき揚げが、恐ろしくサクサクでうまかったことしか覚えていない。

翌朝訪ねると、大きな封筒を"ほい"と渡される。

中に僕の店のロゴマーク口上書きが、竹筆で恐ろしくまとまって書かれてあった。

徹夜して仕上げたようで、髪の毛はぼさぼさでパジャマ姿だった。

後で聞いた話では、一晩で何百枚という違う種類の紙に、何度も何度も筆を走らせたそうである。

この話に尾ひれがついて、「頼んでも仕事をしない岩田がなぜ"ゆめじ"ごとき青二才に」とちょっとした騒動があった。

開店してからもほぼ毎日通ってくださり、大変お世話になる。

店が流行ったのも、この方の人脈話題があったことが大きい。

忙しい毎日。

医者さんや会社経営者の方と、やたら知り合いになる。

 

突然広島焼きが食べたくなり、店が終わったあと、バイト連中を載せて車で広島へ向かう。

インターをおりたところで車が止まる。

店を始めて間もなく買った92年式フォルクスワーゲンゴルフ

JAFを呼ぶが、そのJAFのレッカー車も故障で止まる。

朝が来た。

暑かったので、夏だったと思う。

なにもせず、平和公園へ行って、バイトの子の実家に行って、帰った。

修理代20万円...。

"ゆめじ"は女の子のバイトが多かったが、不思議とみんな仲が良かった。

器量よしで、しかも強烈な個性ぞろいだった。

超目配り上手な、ぼくに名前をくれた"A"。

適当でええかげんで男前の"H"。(でも本気で意見をくれる)

クールで常にバックアップしてくれる、実はおもろい"T"。

めちゃくちゃさが飛び抜けていて、かえってすごい"M"。

おっさんキラーで、つまみ食いが得意な"C"。

マイペースで訛りが抜けず、でも仕事が速い"A"。

ビールと仕事に抜け目が無い、看板娘の"F"。

"めっちゃおいしい"とカワイイがうりの"M"。

きれると宇多田ヒカル全開のしっかりものの"T"。

みんなめちゃくちゃ勝手な僕によくついてきてくれました。

本当に苦労を掛けました。

ありがとう。

 

結婚。

披露宴は自分でコーディネートして、酒蔵の2階の大広間のようなところを借り切ってした。

当日は羽織袴に革のブーツ。

相方は萌黄の振り袖。

司会をお願いした"D"さん、本番直前まで"ゆめじ"という名前だと思い込んでいた。

ピアノの伴奏、司会、歌、写真撮影...全て友人知人達が担当。

本物の手作りウェディングケーキ。

これも友人が。

涙で読めなかった言葉。

鏡開き。

豆腐。

充電切れのビデオ。

フォークソング。

たつじいの湯呑み。

引き出物の版画。

編集済みの写真のアルバム。

お礼、いまだに出来てないなー...。

 

ヨットは結婚した相方が乗っていた。

本格的には店をやめてから。

最高にレースを楽しむクルー。

最高におもろいオーナー。

 

オーナーの"武者修業に行け"という意向で、違う船にも乗っている。

遠いところへも行った。

温泉うまいもん仲間

阿波踊りヨットレース。

鹿児島火山カップヨットレース。

ハウステンボスカップ。

各地へのクルージング。

ほぼ月に1度の地元のヨットレース。

 

肉体を動かす。

風だけで走る。

名誉。

喜び。

戦略。

駆け引き。

スキル。

チームワーク。

運。

祈り。

師曰く、「ヨットレースは人生の縮図」。

 

異業種、団塊世代。

陸ではあり得ない人との出会い。

海に出たときの人間関係のしきりの無さ。

恵まれている。

休みの日、ただ何となく海に出て行くだけで、リフレッシュできる。

 

一白

飲食業界

ヨット

流動的

 

けっこう本当に水に属しているのかも。

閃くのはいつもシャワーを浴びている時

 

本を読む。

ヨットに乗る。

学ぶ。

をする。

自然の形を見る。

自然の音を聞く。

デザインする。

人と出会う。

 

32才

ピーターと出会ったのは、偶然ヨットのオーナー宅であった花見パーティー。

その後東京へ会いに。

"21世紀のデザイン"とは何か。

なぜMacか、Flashか。

デザインとプログラムのオーバーラップ。

ユーザーに親切な設計ができるFlashという武器。

Time is Maneyの哲学

テクノロジーとデザインの融合

うるさくない人間にやさしいテクノロジー。

Macから生まれる優しいデザイン。

3時間。

出会えたことに感謝します。

 

それからタイムリーにwebデザインの依頼。

以後、なんとなくデザインの世界へ。

そうだ、あれが使える。

兵法・心理学

やってたことはムダじゃなかった..。

 

2005年、今は無きMacromedia主宰の"集中ゼミ"

業界のこと、何も知らずに行きました。

会いたかったNISHIDAさん。

すんません、知らなかったです、MINORUさん。

そして天才YUGOさん。

写真も一緒に。

どもでした。

 

これからも人との出会いを大切に(でもときどき放ってしまうけど)、生きていきます。

どうも僕にはそれしか生きる方法が無いみたいだから..。

 

 

 

[思い出したら書き加えていこうかなと、これを書いた時には考えています。]